このお話は、私が住む近くの街での出来事のようです。
たくさんの方に知っていただきたいなあ。。って思います。
『世界一有名な家庭教師の知られざる過去』
━━それは100年以上前の
1876年にさかのぼる。
アメリカ・マサチューセッツ州の
とある精神病棟に、緊張型精神
分裂病と診断されたひとりの
少女がいた。
その少女はほとんど牢獄のような
病室のベッドの上で、くる日も
くる日もうずくまり続け、
看護師によって毎日運ばれる
食事にもまったく手をつける
ことはなかったという。
その日も少女はせっかく運ばれた
食事に手をつけず、それを見た
女性看護師は食事の乗ったトレイを
持ちながらいらだたしげにいった。
「食べないならもう
持ってこないわよ!」
そして看護師は少女の病室を
あとにした。
しかし少女はなににも反応を示す
ことはなく、いつまでたっても
ベッドの上で体を丸めてうずくまる
ばかりだった。
病気は治る見込みはないとされ、
なんと家族からも見放されて
いたという……。
が、そんな孤独な少女を気にかける
看護師がたったひとりだけいた。
その女性は鉄格子越しに少女の様子を
眺め、『今日も食べてないのね……』
と心配そうにつぶやいた。
少女は食事もとろうとせず、
止まることなく衰えていくばかりで
あった。
しかし誰もがさじを投げる中、
その女性看護師だけは少女を
ほうっておくことができなかった。
実は彼女には少女と同じくらいの
年の娘がいたのである。
ある日のこと。
少女の病室に向かう途中、少女を
気にかける看護師は同僚の看護師と
すれちがう。
その際、同僚は
『あれ(病気の少女)はもうダメよ』
という感じで手を振りながら
過ぎ去っていった。
少女の病室の前にたどり着いた
看護師は鉄格子越しにベッドの
上の少女を見つめる。
しかし医師ではない自分には
どうすることもできない。
しかし彼女は『せめて自分に
できることを……』ということで
翌日から次のような行動を開始した。
少女の病室に入ると、看護師は
クッキーが数枚乗った皿を
そっと少女のそばに置いた。
「これ、私が焼いたのよ。
味には自信がないんだけど……。
よかったら食べてね」
彼女は少女に
『あなたはひとりじゃないのよ。
あなたを気にかけている人が
いるのよ』
という思いを込めてクッキーを
置いたという。
以来、彼女はくる日もくる日も
少女の病室に手作りのクッキーを
置き続け、かたく閉ざされた少女の
心をやさしくノックし続けた。
看護師はベッドの上で眠り続ける
少女に語りかける。
「お菓子はなにが好き?
いってくれればなんでも
つくってあげるからね。
でも、難しいのは勘弁してね」
━━それから数カ月が過ぎた
ある日のことだった。
看護師が少女の病室を鉄格子越しに
のぞくと、そこにひとつの大きな
変化が起きていることに気づいた。
なんと皿の上のクッキーが
全部なくなっていたのである!
つまり一切の食事を拒み続けて
いた少女は看護師の置いた
クッキーをついに食べたのだ。
それを目撃した看護師はたとえようの
ない深い感激に襲われた。
ただ死を待つばかりだった少女に
小さな奇跡が起きたのだ。
看護師は笑顔を浮かべて少女にいう。
「ほんとにあなた、よく食べて
くれたわね。私も嬉しいわ」
そして皿を持って病室を出ようと
したときである。看護師の耳に
か細い声が入ってきたのだ。
「……ありが……とう……」
その声はベッドの上の少女の
声だった。
少女の声を耳にした看護師は
もちろんひどく驚き、急いで
少女のそばに戻って憔悴した
少女の体を強く抱きしめた。
「大丈夫よ!
あなたはひとりじゃないのよ!」
看護師のその言葉が少女に
はっきり聞こえていたかどうかは
わからないが、少女はその瞬間から
激しく泣きじゃくり出したという。
それはまさしくひとりの看護師が、
誰からも見捨てられた孤独な少女の
心の扉を開いた瞬間だった。
そして、この少女がのちに、
世界中の誰もが知るとある奇跡の
物語の主人公になるのである……。
心の病を患い、なににも反応を
示すことなく、ただただ死を待つ
ばかりだったひとりの少女。
その少女の心を開いたのは
ひとりの看護師の小さな愛の
メッセージであった━━。
それから10年の月日が流れる━━。
かつて少女が入院していた病院の
院長室をひとりの紳士がたずねてきた。
彼は院長に向かって深刻な表情で
こういった。
「娘のことをなんとかお願い
できないでしょうか?」
重度の身体障害児を子供に持つ
この男性は、娘の世話ができる人物を
必死で探していたのだ。
「いくつか病院をまわったんですが、
すべて断られてしまって……。
やはり無理ですよね……」
表情を暗くしてそうつぶやく男性に、
院長ははきはきとこういった。
「お引き受けします」
「え!?」顔をあげて驚愕する男性。
そして院長はひとりの女性を
院長室に呼び寄せた。
院長に入ってきたのはサングラスを
かけた若い女性。
彼女は身体障害児の娘を持つ男性と
笑顔で握手をかわした。
実は彼女こそ、かつて死を待つばかり
だったあのときの少女だったのである。
彼女はかつてとは見違える姿で
院長室に登場した。
院長はいう。
「彼女ならまちがいないでしょう。
まさに適任です」
そして相談にやってきた男性は
激しく喜びを露にする。
「ハァ、よかった!
これでヘレンも救われる!」
このとき、サングラスの女性は二十歳。
そして彼女は自己紹介をする。
「よろしくお願いします。
アニー・サリバンと申します」
そう。この女性こそ、わずか1歳にして
光と音のない世界に突き落とされた
ヘレン・ケラーに50年の永きに
わたって献身的に付き添い、
家庭教師の代名詞となるあの
サリバン先生だったのである。
サリバン先生といえばサングラス姿が
有名だが、実は彼女は目の病気を患って
おり、目を保護する目的で常に
サングラスをかけていたのだという。
……ある日の昼下がりの公園の
ベンチの上。
サリバン先生は腕を振り回して
いうことをきこうとしない
ヘレン・ケラーに戸惑いを隠せない。
しかしサリバン先生は
ヘレン・ケラーに常にこういい
きかせ続けたという。
『大丈夫、
あなたはひとりじゃないの!』
━━それは自身が生まれ変わる
きっかけとなったあの看護師の
メッセージ。
やがてヘレン・ケラーにサリバン先生の
思いは伝わっていく……。
「ヘレン……?」サリバン先生は
ベンチで隣に座るヘレン・ケラーに
目をやる。
ヘレン・ケラーはバケツの水の中に
そっと手を入れ、小さな声で
ぎこちなくこうつぶやいた。
「……ウォー……ター……」
飛び上がるような歓喜に襲われる
サリバン先生。
「そうよ!『ウォーター』、
もう1度いってごらん!」
「……ウ、ウォー……ター……」
「ヘレン!」サリバン先生は
ヘレン・ケラーの名前を叫びながら
ヘレン・ケラーの小さな体を抱きしめた。
限りない慈愛と忍耐を持つサリバン先生。
こうして再び奇跡が起きたのであった━━。
ちなみに“奇跡の人”といえば日本では
ヘレン・ケラーのことだと思われがちだが、
国際的には“奇跡の人”とはサリバン先生を
指す言葉だとされている。