2017年6月18日(日)
亡き夫とともに “ふたり”の花畑
二宮
「瀬戸内海に浮かぶ、香川県の志々島。
昭和60年代の映像です。
花の栽培が盛んで、島一面が色とりどりに染まることから『花の島』と呼ばれました。
しかし、過疎と高齢化が進み、花農家は次々と廃業。
今では1軒も残っていません。」
「瀬戸内海に浮かぶ、香川県の志々島。
昭和60年代の映像です。
花の栽培が盛んで、島一面が色とりどりに染まることから『花の島』と呼ばれました。
しかし、過疎と高齢化が進み、花農家は次々と廃業。
今では1軒も残っていません。」
小郷
「この志々島で、廃業した後も、たった1人で花を育て続ける、おばあちゃんがいます。
そこには、夫と共に過ごしてきた人生への思いがありました。」
「この志々島で、廃業した後も、たった1人で花を育て続ける、おばあちゃんがいます。
そこには、夫と共に過ごしてきた人生への思いがありました。」
亡き夫とともに ふたりの花畑
香川県の西部、瀬戸内海に浮かぶ、志々島。
島の小高い丘の上に、かつての「花の島」の面影を残す一角があります。
島の小高い丘の上に、かつての「花の島」の面影を残す一角があります。
この花畑を作っているのが、お昼寝中のこちらのおばあちゃん。
髙島孝子さん
「気持ちええ。」
「気持ちええ。」
髙島孝子(たかしま・たかこ)さん、82歳です。
髙島孝子さん
「これ、マーガレット。」
「これ、マーガレット。」
育てているのは、マーガレットやシバザクラ、ナノハナなど、季節の花々。
髙島孝子さん
「50年も花を作ってきとるけんな。
忘れられんのじゃ、花作りよったのが。」
「50年も花を作ってきとるけんな。
忘れられんのじゃ、花作りよったのが。」
花農家だった、孝子さん。
しかし3年前、出荷をやめました。
今は、売るわけでも、誰に見せるわけでもない花を1人育てています。
それには、ワケがあります。
孝子さんは、島に独り暮らし。
3年前に夫を亡くしました。
しかし3年前、出荷をやめました。
今は、売るわけでも、誰に見せるわけでもない花を1人育てています。
それには、ワケがあります。
孝子さんは、島に独り暮らし。
3年前に夫を亡くしました。
夫の長男(ながお)さんとは、島が花の栽培で栄えた60年前に結婚しました。
花農家として、夫婦で必死に働き、3人の子どもを育てました。
いつも一緒だった2人。
支え合いながら生きてきました。
花農家として、夫婦で必死に働き、3人の子どもを育てました。
いつも一緒だった2人。
支え合いながら生きてきました。
髙島孝子さん
「優しい人じゃった。
(花が重くて)私が立てないから、『よーいしょ』って引っ張ってくれた。
お父さんと一緒に仕事したことや、何もかも思い出す。
そう言うただけでも涙が出る。」
「優しい人じゃった。
(花が重くて)私が立てないから、『よーいしょ』って引っ張ってくれた。
お父さんと一緒に仕事したことや、何もかも思い出す。
そう言うただけでも涙が出る。」
長男さんを失った時、一度は花づくりをやめることも考えました。
それでもやめなかったのは、花畑が夫と生きてきた人生の証のように思えたからです。
そんな孝子さんが、毎年大切に育てている花があります。
それでもやめなかったのは、花畑が夫と生きてきた人生の証のように思えたからです。
そんな孝子さんが、毎年大切に育てている花があります。
髙島孝子さん
「これはキンセンカ。
だいぶ咲いたな。
よう咲いた。」
「これはキンセンカ。
だいぶ咲いたな。
よう咲いた。」
鮮やかな色のキンセンカ。
数多く手がけた花の中でも、長男さんが大好きだった花でした。
孝子さんは、思い出のキンセンカだけは、毎年綺麗に咲かせたいと考えています。
数多く手がけた花の中でも、長男さんが大好きだった花でした。
孝子さんは、思い出のキンセンカだけは、毎年綺麗に咲かせたいと考えています。
髙島孝子さん
「ここへは、この花を植えたい、キンセンカを。
お父さんとの思い出じゃけ。
ここに、この花がなかったら、寂しいわい。」
「ここへは、この花を植えたい、キンセンカを。
お父さんとの思い出じゃけ。
ここに、この花がなかったら、寂しいわい。」
しかし、花畑を守るのは、年々難しくなっています。
毎朝、畑に向かう孝子さん。
丘の上にある畑へは、急な坂道を上らなければいけません。
5分ほどの道のりですが、最近は足が痛むようになりました。
丘の上にある畑へは、急な坂道を上らなければいけません。
5分ほどの道のりですが、最近は足が痛むようになりました。
髙島孝子さん
「休ませてもらうわ。
しんどい。
ここまで一生懸命。」
「休ませてもらうわ。
しんどい。
ここまで一生懸命。」
島に1人で暮らす孝子さんを心配して、週に一度、息子夫婦が対岸の町から訪ねてきています。
息子夫婦は、島を離れて同居してもらうことも考えました。
しかし、孝子さんは花畑から離れる気はありませんでした。
今は、孝子さんの気持ちを尊重して、畑の手伝いをしています。
息子夫婦は、島を離れて同居してもらうことも考えました。
しかし、孝子さんは花畑から離れる気はありませんでした。
今は、孝子さんの気持ちを尊重して、畑の手伝いをしています。
嫁 千鶴さん
「できるだけ元気で島にいてもらえるように、お母さんに。」
「できるだけ元気で島にいてもらえるように、お母さんに。」
息子 直宏さん
「おふくろが元気で島でいてくれたら。」
「おふくろが元気で島でいてくれたら。」
嫁 千鶴さん
「それが一番ね。」
「それが一番ね。」
3月下旬。
志々島には、雨が多く降りました。
1週間降り続いた翌日、花畑の様子を見に行くと…。
志々島には、雨が多く降りました。
1週間降り続いた翌日、花畑の様子を見に行くと…。
髙島孝子さん
「まあ見てみいな、びちゃびちゃ。」
「まあ見てみいな、びちゃびちゃ。」
咲き始めの花が、雨に打たれてしおれてしまっていました。
髙島孝子さん
「花びらがこんなになってしまって。
涙が出る。」
「花びらがこんなになってしまって。
涙が出る。」
急いで肥料をまき始めた孝子さん。
髙島孝子さん
「ついてください。
花が咲いてください。」
「ついてください。
花が咲いてください。」
夫との思い出が詰まった花々を、今年(2017年)も咲かせたい。
そう願っていました。
天候も回復した、2週間後。
そう願っていました。
天候も回復した、2週間後。
髙島孝子さん
「咲いたな。」
「咲いたな。」
荒れていた畑は、花で埋め尽くされていました。
新たなつぼみが次々と花開いたのです。
新たなつぼみが次々と花開いたのです。
髙島孝子さん
「枯れてしもうとったのにな、咲いた。」
「枯れてしもうとったのにな、咲いた。」
そして、夫の大好きだったキンセンカは、一面、見事な花をつけていました。
髙島孝子さん
「あんたの好きな花が咲いたでって言うの。
好きなんじゃけん。
この花で食べてきたんじゃけん。」
「あんたの好きな花が咲いたでって言うの。
好きなんじゃけん。
この花で食べてきたんじゃけん。」
今年も綺麗に咲いたキンセンカ。
長男さんのお墓に報告です。
髙島孝子さん
「あんたの好きなキンセンカ。
上等じゃったで。
来年(2018年)も作って立ててあげるけんな。」
「あんたの好きなキンセンカ。
上等じゃったで。
来年(2018年)も作って立ててあげるけんな。」
小さい花に込められた、夫婦の記憶。
2人の花畑は、今年も満開です。
2人の花畑は、今年も満開です。
二宮
「出荷もしていないということで、本当にお2人のための花畑ですけれども、この花畑で今もつながっていらっしゃるんですね。」
「出荷もしていないということで、本当にお2人のための花畑ですけれども、この花畑で今もつながっていらっしゃるんですね。」
小郷
「今でもこんなに綺麗に花を咲かせて、ご主人とのこれまでの花づくりがいかに幸せなものだったのかというのが伝わってきましたね。
「今でもこんなに綺麗に花を咲かせて、ご主人とのこれまでの花づくりがいかに幸せなものだったのかというのが伝わってきましたね。